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献公 (晋) : ウィキペディア日本語版
献公 (晋)[けんこう]
献公(けんこう、? - 紀元前651年)は、中国春秋時代の君主(在位:紀元前676年 - 紀元前651年)。詭諸武公の子。
==生涯==
太子として、父・武公の晋再統一戦で活躍した。即位してからは、謀臣で大夫士蔿の献策のもとで、宗家の威勢を脅かし始めた桓叔荘伯を祖とする公族〔辺境の食邑から動かなかった韓氏を除く。〕を滅ぼして宗家の権威を確立し、晋を隆盛させる契機となった。この功により士蔿を大司空に任命した。献公9年、に攻め込まれた。これは、滅亡させた晋の本家の公子たちが虢へ亡命し、訴願したことによる。献公は虢を攻めようとしたが士蔿の諫言を容れ止めた。献公16年、軍を増やして二軍とし、献公自身が上軍の将となり、太子(共太子)を下軍の将に、献公の御者に趙夙、車右を畢万として、周辺諸国の小国を攻め滅ぼし、耿を趙夙に魏を畢萬にあたえた。翌17年、申生に命じて東山氏を伐たせた。これで近隣の平定を終えたと見た献公は、19年、虢を誅つために荀息に遣わせて道を借りた(仮道伐虢)。この虢攻略には3年かかったが、ついに攻め滅ぼした。帰還の途中に虞も滅ぼして併呑し、領土を拡大させた。
しかし、晩年は愛妾・驪姫(異民族の驪戎の娘)の讒言を信じ、太子申生を殺し、公子重耳(のちの文公)、公子夷吾(のちの恵公)などを遠ざけたために、晋は大きく混乱した。これを『』と呼び、これ以後晋は太子以外の公子を国外に出す伝統を守り、このため公族の力が非常に弱くなっていった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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